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2004年6月 9日 (水)

梅雨は物憂いが

午後お台場で会議、情報の無い中で、事件の裏側を読もうと思って外の世界からやってきた輝ける友達が、否定したい世界と同化して自分を排除する側に回ってしまった悲しみとか考えてみても、それは想像にしか過ぎない。人権の問題は、やはり考え直したほうがいい。呉智英先生に学びたい。ただ事件の本質をみるには少なくともインターネットとかバトルロワイヤルとかいった情報から実際には無関係な挟雑物を慎重に排除して考えなくてはいけないのは確かだと思う。そのあと、新橋から水道橋まで歩いて帰る。小泉首相はもはや王様なので勝手に多国籍軍に参加することを約している。王様をいただいた国民は経済も上向きでということにされている。人の死がどんどん安っぽいものに勝手にされていく。自分が何もしないから、世の中が変らないのだということを思い出さないと。人は小さいけれどその命というエネルギーは本当はとてつもないポテンシャルを持っているのだ。生きていることの力を忘れてしまうなんて、あまりに悲しい話だ。

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