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2004年10月

2004年10月31日 (日)

友人の霊前に手を合わせた後馬券を外す

041031-161005.jpg 天皇賞だが8月に事故で亡くなった学生時代の友人山口(旧姓秋山)晴美さんの弔問のため東横線の妙蓮寺駅。一年先輩の鍋田さん、同期の木村佳名子さんと待ち合わせ、ご主人の山口さんのお迎えを受けてご自宅へ伺う。猫が二匹。昔と変わらぬ笑顔のご遺影、お線香をあげて手を合わせる。残念だ。新宿へ鍋田さん木村さんと行き飲みながらいろいろ話す。天皇賞はバランスオブゲーム9着でまるっきりはずれ。府中へ行きいつもの皆さんと宴会。薗部さんご一行もとなりの部屋で残念会。ちょっと声をかけたらさすがに悔しそうです。帰り、成沢さんと妻と新宿の麺通団。あとから成沢さんがUまんを呼んで飲む。

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香田さんの遺体が発見された、いたましいことだ。

早朝アジア系の若い男性の首を切断された遺体が発見されたが、政府は今度は慎重に確認しているという。さっき日本テレビ系では遺体は香田さんと流れたがいまTBSではまだ確認中と言っている。どっちが本当なのだろう。現場の混乱がしのばれる(その後10時17分頃TBSでもテロップで指紋などから確認と流れた)。身長体重頭部の特徴などが香田さんと一致する、とイラク人は言っているようだ。昨日の朝までは生きていたという情報をアンマンの日本の対策本部は持っていたらしいことなどをTBSでは言っていたが。自殺に等しい行為をして本当に殺されてしまった。世界が平和ならそんなことは起きないのに、といっても世界は平和じゃないのである。それをどうにかする為に、何をやらなくてはいけないか? やめろといってやめる戦争ならとっくにやめているだろう。大統領選挙はどうなるのだろう。町山さんがブッシュが勝かもしれない理由を明確に書いている()。
以下引用。



そこで、「ブッシュはスポーツマン」と言うのはさずがに無理があると気づいた共和党は戦略を変えた。
共和党のジュリアーニ元NY市長は、ケリーが地元ボストン・レッド・ソックスの選手の名前を間違ったことを揶揄した。
またケリーがグリーンベイパッカーズのホームスタジアムの名前を間違えた時は、共和党や保守系ラジオのDJたちは鬼の首でも取ったとように「ケリーは普通の男のようなフリをしてるけど、実はプロスポーツなんぞ見もしないで、優雅にスキーをしてるような東部のエリート野郎だ」と大騒ぎだった。
いっぽう、ブッシュは接戦州の演説で野球用語やフットボール用語を駆使して、スポーツ・ファンの気を引いている。 これはとんでもない欺瞞だ。
共和党は接戦州で勝つために、実際は運動神経の鈍いブッシュを「スポーツ・ファン」として宣伝し、実際はスポーツマンであるケリーを「偽スポーツ・ファン」と中傷しているのだ。
実はこれは、もう一つの欺瞞とよく似ている。
共和党は徴兵を逃れて州兵に逃げ込み、そこでもサボったブッシュを戦時大統領として持ち上げ、実際にベトナム戦争に志願し、命をかけて戦友を救ったケリーを、帰還してからベトナム戦争に反対したという理由で、裏切り者呼ばわりしている。
もっと嫌なことに、ブッシュが高校の成績が悪くて、今でも英語や教養に問題があり、アル中だったことは、接戦州に多いブルーカラーの人々にとって親近感を呼びこそすれ、決してマイナスにはならないのだ。
逆にケリーがフランス語も堪能なことが「気取りやがって」という反発を呼んでいる。
だからディベートでケリーがブッシュを言い負かした時も、勝負はケリーの勝ちとしながらも、「好感度」では、しどろもどろだったブッシュのほうが勝ってたりするわけだ。
ちなみに2000年の選挙時にオイラはコロラドに住んでたけど、ウチの近所の仲間(軍隊経験者多し)がいちばん応援していたのは共和党のマケインさんだった。筆者も共和党左派のマケイン氏が理想的な大統領だと思っていた。
マケインさんは志願兵としてベトナムに行き、捕虜として何年も収容場に入れられたが、自分を処刑しなかったベトナムの民に感動して、その後もベトナムを訪れ、ベトナムを支援している。
人種差別に激しく反対しており、養子はバングラデシュの孤児だ。
ところがブッシュはマケインさんを中傷するために「彼はベトナムの収容所で狂った」「ベトナムに洗脳された」「黒い子供がいる」とデマを撒き散らした。
ブッシュのやり方はいつも同じだ。



以上引用終り。
そういうやり方で世界覇権国の指導者が選ばれて行く。根はとてつもなく深い。ぼくも含めて日本人は何もわかっていない。情報も知識もツールもない。問題はそれなのだ。殺された香田さんをぼくはバカだと思うが、それは自分自身だって程度の差だけで同じ種類のバカだということをわかっているから思うのだ。ふつうのバカが殺されてしまったから辛いのだ。世界がつながっているんだということを、こんな形で教えてくれたことになるが、果たしてそのことをぼくたちはしっかりと感じ取ることができているのだろうか。ふつうのバカがせめて危険を回避して、自分のあたまでものを考えて、未来を見据えて行動する。そんなふうに世界がなるように、自分でできることをやりつづけるしかないのだが。

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天皇賞秋

◎バランスオブゲーム

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2004年10月30日 (土)

雨の日早めに家に帰り埋もれていたCDを発掘する

雨である。新潟も。人間の都合を自然は勘案しない。だからこそ人間は自然を畏れ敬いともに生きる努力をしてきたのだ。そして人間の都合が人間を振り回す。イラクの人質について日本は国の体をなしていない事を露呈している。自衛隊を派遣することが「まともな国」になることじゃないことを日本国は世界と自国民に向けて撒き散らしている。世界を動かしているのは正しく銃弾と金だ。それにどう対応して行くか。そうじゃない世界をどうやったら作れるか。口先だけではどうにもならないのはあたりまえだが、もはや口先すら誤魔化せず全く正反対の動きを見せている日本の大人たち。午後お台場で会議。会議の最中に通信社のニュースが入る効果音が何度も聞こえる。遺体は香田さんではなかった、歯型が違う。なるほど。日本人ですらなかった。雨の中子供が踊る台場。帰宅して近所のテイクアウェイ寿司で妻と夕飯。バンクバンドのCDを聞いているうちにいろいろ聞きたくなって文字通りごたごたとしたものの中に埋もれているCDを引っ張り出す。シフランのモーツァルトとかオリジナルラブとかコロセウムとか椎名林檎とかサムクックとかミシェル・ポルナレフのトリビュートとかクレージーキャッツとかエレカシとかコルトレーンとか清元とかもう雑多に聞く。音楽は人を生き返らせるね。

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イラクで人質の遺体発見か→別人、日本人でもない、亡くなってから時間が経っている…

今回の人質事件についてはあまりにも冷淡なマスコミ報道にちょっとびっくりしている。もちろんその一番の理由は新潟の震災報道に手一杯ということがある。自然災害でたくさんの人が亡くなり傷つき苦労しているときに、他人の戦争をのこのこ見に行った人間が人質となってもなあ、という気分も国民の間にあるのは当然だとぼくも思う。だがそれにしても異様に冷静だ。アメリカでも大統領選挙の終局というお祭騒ぎの最中で日本人が人質になろうが殺されようが国民一般の興味を引くわけがない。そんな中でのほぼ同時に香田さんと疑われる遺体が発見とビンラディンテープの登場だ。このタイミングはなんだ? 世の中には偶然などということは実はあまりない。冷静に考えてみたいのがこの間イラクで殺された人々のことだ。奥大使、井ノ上一等書記官、橋田信介さん、小川功太郎さん。ピンポイントに意味のある方々がねらわれている。時がすぎれば彼らが狙われた真の理由が明らかになることもあるだろうと思われる。今回は違う、のだろうか? 回りの誰もが止めたイラク入り。それもわざとのように短パン姿。所持金も乏しくイスラエル滞在の証拠も消していなかったらしい。(この件についてだけ当初から妙に詳しく報道されていたのもひっかかるが)ただのバカといえば簡単だが、バカにもほどがある。ニュージーランドでワーキングホリデー滞在をしていた、二ヶ月近くもイスラエルにいた。バカであっても、日本国内にいるバカとは違う情報経験があったはずだ。何かおかしくないか? 米軍が発見した遺体は米軍のコントロール下にあるのに情報がほとんど入ってこない。日本政府のお使いがいるヨルダンではなく米軍の拠点であるカタールに行くという。何とは特定できないが何かおかしくないか? 靄がかかったようなザラカウィグループ、そしていつものザラカウィグループとはちょっと違った対応。切断されなかった(らしい)首。もちろん、イラクの情勢自体が靄がかかっていて、米軍の動きも何もまともな報道は一つもされていない。何もわからない。何も分からない中で、日本人が殺されたらしい。すべては「らしい」。日本の当局は何も分からない。何も説明できない。その能力がない。その気が無い。日本人は何も分からない中で、剥き出しの命を過酷な世間に晒している。
→そして別人であることがわかる。日本人ですらない。死亡したのも少し前と推定されるらしい。いったい米軍の情報ってのはなんなのだ? 日本人は何も分からない中で、こうやって翻弄されつづけて行くのか。

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2004年10月29日 (金)

仕事仕事そして丸の内のソトコトで酔いつぶれる(^^;)

041029-123403.jpg今日もいい天気。朝ごはんはうちで。発芽玄米のご飯、妻が漬けた蕪の糠漬け、マクロビのごま塩と若布のふりかけといった完全菜食。うまいうまい。水道橋から御茶ノ水乗換えで東京駅。新しくできた食堂コーナーを見物してから歩いて築地W誌編集部。原稿書いたりさまざま手配したり。デスクに座りっぱなしである。 一度ソトコト編集部へ行ってから夜は丸の内。グラフィックデザイナーの山岡さんがいらしてくださる。そしてロングインタビュー、綾戸智絵clubと仕事を一緒にしている山田Pと柴崎Pがいらしてくれていろいろお話。某制作会社N氏も来て盛り上がり記憶無くなる(^^;)。申し訳ないです>皆様。

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アメリカの大統領選挙

とりあえず町山さんのページから。


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2004年10月28日 (木)

生きて仕事をしていることの有難さ

041028-150452.jpg 今日はさわやかに晴れている。生き埋めの母親は即死状態だったという。女の子の死亡も確認されたようだ。でも生き残った子がいる。父親がいる。生きているものにとって人生は続く。午後W誌編集部。お昼は今日もさらしなの里。おかめそば。卵焼きや椎茸や筍、蒲鉾が入ったそばをなぜおかめというかは、具をおかめの顔をかたどって並べるから。でも並んでなかった気が。幕末ごろに江戸・下谷七軒町(根岸のあたり)にあった太田庵という店が考案したのだそうです。 それからW誌編集部で作業。ソトコト編集部にも顔を出してからW誌編集部に戻り大橋マキさんと打ち合わせ。銀座の文平さんの事務所に移り大橋さんの単行本のデザインの打ち合わせ。文字の種類や大きさ、レイアウトなどを細かく決める。今回大橋さんの本とハセベケンさんの本をほぼ同時進行で文平さんにお願いしていて、本のサイズもほぼ同じということで両方に共通したフォーマット的なものを追求していた文平さん、今日でだいたい見えた、と喜んでいる。ぼくもこんなに細かくデザインについて関わることなどめったにないので面白く、時のたつのを忘れる。大橋さんと銀座で別れて丸ビルに向かおうと思い店に電話すると今日は10時半で閉める、というのであきらめて帰宅。食事しながらついついBSアニメ夜話(ガンダム)を見てしまう。ブライトが19歳はまだいいけどキシリアって24歳だったんだな。福井晴敏氏の風貌になんとなくホンモノを感じる。

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2004年10月27日 (水)

本物フラメンコのカンテ

041027-205903.jpg そしてお台場へ行き会議。あまりにもいろいろな事件が重なっている。生き埋めの子供が助かった感動、だが母親ともう一人の子はまだだ。W誌編集部に戻り作業。指出くんと編集長と丸の内のソトコト。いろいろな方がみえる。画家でありエッセイストでありフラメンコのカンテの歌い手である堀越千秋さんがいらっしゃる。すばらしい歌声に感動。合間にあらわれたどこかの会社員の方がこれまたカンテを披露。大変楽しいひと時でした。堀越さんはスペインに長くすみ、生まれ育った国以外で暮らすことの面白さと苦しみとを知り抜いている方。その人生が堀越さんの喉から形を持った確かな実態として絞りだされる。「自分探し」などという眠いことを言ってイスラエルやヨルダンやイラクに行くことの情けなさ。そして実は日本人の多くはその情けない側にいる。ぼくだってそうだ。その駄目さを自分自身で射抜かないと。そして笑いながら歌いながら過酷と戦わないと。

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橋田信介さんの「戦場特派員」を読み返す

041027-130616.jpg 「戦場特派員」を読み返している。心に刺さる言葉がたくさんある。あとがきにある「平和原理主義は日本を滅ぼすことになるだろう」をしっかりと味わう必要がある。「ザルカウィのグループ」という霧が吹きかけられたような集団に捕まった日本人の信じるものはおそらくそれだ。キリスト教原理主義、イスラム原理主義、平和原理主義、戦争原理主義。戦争は一部の人間が起こしているのではない、民間人は戦争に関係ないというのは大嘘だ。日々の生活のなかでそれは準備されている。一方で災害に対する対策の準備の足らなさ。それは実は表裏一体の出来事なのではないか。


大きな余震に驚きながらニュースをチェック。それから築地W誌編集部。昼ごはんはさらしなの里であなご南蛮。あとからきた二組三人の客が全員ごま汁そばの大盛りを頼んだのはなぜだ。知らなかったが人気メニューなのだな。しかしいつ見ても



この職人さんはすごいな。さらしなの里が神楽坂にあった大正時代の出前の職人さんだそうだ。

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2004年10月26日 (火)

地震は他人事じゃない、自分の足下を見つめるのと同じように被害者を見ないといけない

雨。被災地には本当に辛い天候だ。W誌編集部へ行きいろいろと仕事をする。編集長来て指出くんと少し打合わせ。ぼくのやるべきページの内容が固まってくる。お台場に行き会議。地震の被害についていろいろと話しあう。ほんとうにボディブローのようにきいてくる地震被害。恐ろしいことだ。生活の基本が崩れ落ちてしまうところで生きていくことの辛さ。W誌編集部に戻り少し作業をしてからソトコト編集部。 作業後編集長と丸の内へ。今日は特にイベントもなく静か。K先生がお母様といらっしゃっている。築地でマグロの仲買をしている編集長の弟さんがマグロの燻製を持ってきてくださっている。おいしい。ジンガロを呼ぶ会社のかたがたなどといろいろお話。某制作会社N氏とY氏くる。うーん店があると便利というか、いろいろ楽しいことができそうで嬉しい。

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ライブドア、高崎競馬経営に参加をかんがえちゅう

あたしゃ感動したよ。ほりえもん、あんたは偉いよ。


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2004年10月25日 (月)

丸ビル地下一階のソトコトバーをよろしく。

041026-082249.jpg 非常にいい天気。朝丸ビルのソトコト・ロハス・キッチン・アンド・バー、朝イタリアから帰ってきた編集長も来ている。なんとか外見は整った感じ。編集長とソトコトへ。いくつか仕事片付けてW誌編集部。一度外出して資料探し。それからW誌編集部へ戻る。遠藤さんパソコン搬入。編集部も整った感じ。指出くんもロケ先から帰ってくる。編集長も来て会議。いろいろ作業して夕方指出くん事務のサヤマさんと丸ビルへ。たくさんの方来ていただきありがとうございました。成沢さんUまん今後ともどうぞよろしく。まだまだオペレーションが駄目ですがおいおいまともになっていくと思います。よろしくお願いします。 店長が書くブログもあったりします。

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2004年10月24日 (日)

地震に対する準備などどこにも見えない東京

041024-194055.jpg041024-222322.jpg ソトコトの店は明日開店。ということで今日はスタッフの皆さんは大変でした。ぼくは昼ごろまで自宅で原稿、PATで菊花賞のはずれ馬券を買ってW誌編集部。原稿をなんとか書き上げ、丸ビルへ。店はだんだん形になってきてる。妻が来て丸ビル内の筑紫楼で安いメニューを選んで夕食。上海蟹も鮑も関係なし。フカひれは安いやつを頼む。もう一度店を見てから帰宅。家の前にのんきそうな猫が二匹。一匹は近づいてもちっとも逃げない。大橋マキさんの「宇宙船地球号」とEZ!TV。EZ!の渾身の地震レポート。あらためて被害の大きさ地震の恐ろしさを知る。東京の準備はあまりにもできていない。

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2004年10月23日 (土)

自然は人間の都合など考えてはくれない

というか人間は自然の機嫌を伺いながら暮らしていかなくてはいけないものだと、天災が起きるたびに思い知らされるのに、またすぐ忘れてしまう。午前中W誌編集部で原稿呻吟。うまくできず時間切れでお台場。会議。W誌編集部に戻り原稿続き。苦しんでいると地震。テレビ、ラジオがないのでインターネットで情報を見る。新潟で震度6強!恐ろしい。何度も余震。原稿が手につかなくなる。こういうときに平常心でいられないのがぼくのダメなところだ。妻が来て近くで食事。それから丸の内の現場へ寄って帰宅。

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2004年10月22日 (金)

10月25日月曜日丸ビル地下一階にオープンのソトコトSOTOKOTO LOHAS Kitchen & Barをよろしく。

041022-181724.jpg041022-210633.jpg皆様のご来店を楽しみにしております。無事女性ソムリエも見つかりました。ビール党の方もたまにはワインをお楽しみください。ハウスワインはグラスで500円。いろいろイベントも企画中です。

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全力を出すのは大変だけど、楽しい

041022-145427.jpg午前中、番組の打ち合わせで某所で某Dと某さんたちと打ちあわせ。非常にいい感じ。一人で築地、さらしなの里でかしわ南蛮食べてからW誌編集部、海外の編集長から電話、いろいろ指示を受ける。ソトコト上田くんに謝って取材を一つとばしていくつかの作業。それから丸の内へ。月曜から開店する店ソトコトの内装や搬入その他。途中いくつか電話をかけたりかけ離れた仕事をいろいろ。22時過ぎとりあえずあがってソトコト編集部。いくつか作業。

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2004年10月21日 (木)

もう国会は脳死状態だがこちらは気をしっかり保たないと。

目が回るようだよ。しかし国会もひどいことになっている。民主党の人たちも橋田信介さんのご遺族の生命保険支払いに関する訴訟などもしっかりと受け止めて政府と戦ってほしいもの、勝谷さんが昨日の日記で書いているように。

以下引用。「イラクは非戦闘地域である」と日本国首相が言って下さっているからである。護送船団で財務省の乳母日傘の下にある保険会社としてはよもや首相の発言には背けないからである。ではなぜAIUは支払いを許否したのか。そりゃあ外資だからでしょう。黄色い猿の親玉が何と言おうと知ったことじゃないからでしょう。民主党国会議員諸君。ぜひこの橋田家への保険金不払い問題を国会の場で追求してほしい。これは王手飛車とりである。あくまでも「非戦闘地域」だと言うならば日本でのAIUの営業の許認可権を持つ政府にきちんと行政指導させて橋田家に保険金を払わせたまえ。それができないというならば小泉純一郎が再三再四に渡って嘘をついていたということの証明に他ならない。ボディブローにダウン寸前の卑劣狗政権倒閣のために橋田信介が天から送った爆弾を活かすのだ!以上引用終わり。昼からW誌編集部。単行本の編集作業、ソトコトの原稿書き、W誌の企画のためのもろもろ、番組のための調査や連絡、などなどをソトコトの編集部と行ったりきたりしながらやるがやはりもろもろ遅れていて各位に迷惑かけている。まずい。ソトコトの店のための手伝いももろもろある。 行ったりきたりの末ソトコト編集部で営業部長上田君と某制作会社N氏と打ち合わせ。その前にちょこっと編集沼尻君とN氏とで相談。そして上田君、N氏と近所のはなふさという飲み屋で夕飯。20年に近くなるつきあいの三人なので面倒がない。N氏とわかれ上田君とタクシー、上田君の家の近くのお好み焼き屋に編集小針さん呼び出し三人でもう一席。みんな歩いて帰れる近所同士。

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雨の中聞きに行った音楽

台風がきているがとにかく仕事なので出かける。まずは栗本慎一郎先生に先生の事務所でインタビュー。それからW誌編集部。某異国なる編集長より電話入る。数箇所に連絡。とれないところもあり。午後お台場会議、それからW誌戻り、作業のあと加藤みのるさんのライブへ青山。雨すごい。足元が水溜りだらけでびしょびしょだ。演奏、素晴らしい。でもまだ世間的には誰も知らない世界。もったいないというか次第にみなさんにお知らせする為にまだまだ努力しないと。帰路はソトコト編集部のご近所さんとタクシーに同乗、帰宅後軽食食べながら妻と話す。仕事が山積。

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2004年10月20日 (水)

wed oct 20

FT
強硬派によってビルマの首相更迭

カーライルとKKR、この18ヶ月で最高額の投資家への払い戻し総額を記録
 カーライルは6.6ビリオンダラーで同社としては最高額。しかしKKRはもっとすごくて9ビリオンダラー。プライヴェート・エクィティの世界で最高額。市場が冷えているときにこんな小切手を投資家に対して切れるのは両者のアビリティ。

ロンドンに本部を置くInternationl Institute of Strategic Studiesは、北コリアとイランの核拡散の不安は深まっているとの分析を発表。米国がイラクにかかりっきりなため、西側のプレッシャーに耐えられているなどとした。

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2004年10月19日 (火)

気象の変化を実感し落合監督の失敗を味わいトム・クルーズはスターだなと思う(^^;)一日

一転して雨だ。というか台風が沖縄に来ている。すごく広い範囲が影響を受ける大きな台風だ。そしてもう一つがもう発生している。気象が変ったということなのか。W誌編集部へ行き作業。やることは数限りなくある。午後お台場で会議。トム・クルーズに玄関で遭遇した人が、警備はぴりぴりしていたけれどご当人はにこやかにファンの女性たちと自分から握手をしていたそうだ。えらいね。ソトコト編集部でちょっと用事をすませてからW誌編集部へ戻る。気がつけば夜。まだまだ作業終わらず。家に持ち帰る。夕食食べながら日本シリーズ、落合監督、この夜は失敗だと思うが後にどうつながるか。そして短期決戦の場合のつながり方に意味がどう出るか。伊東監督は失敗をいろいろしているが相手とカブレラに救われた感じかな。

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2004年10月18日 (月)

若返りなどに関する本を読んでいるが

041018-144759.jpg


 まあじたばたするのはいいことだけど、薬や整形の類が発展しちゃうのはやな方向性だな。違う道を探そう。それよりいい天気。有楽町駅からバスで築地、W誌編集部で仕事。ソトコトへ行ったりきたりはいい運動。6分くらいだから行って帰って12分、5セットやれば1時間歩いたことになります。今日はアポ取り原稿書きなどしているうちに時がたつ。スーパーサイズミー勝手に応援ブログにもちょこっと書いたり。丸ビルの地下にできるソトコトという名のイタリアワイン立ち飲み屋のオープニングが来週月曜と迫りいろいろぼくも手伝う。まあたいしたことはできませんが。皆さんいい話の種ですよ、東京駅通りかかったら覗いてみてください。いろいろイベントもやる予定。夕飯は蕎麦。

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2004年10月17日 (日)

松坂投手はだからこそ大リーグに行くべき気が

041017-164810.jpg 松井がすごすぎる。秋華賞をテレビ観戦してから妻と西巣鴨の実家へ。昨日退院した母を見舞い、妻が夕飯の用意をして家族で食べる。日本シリーズを父と途中まで観戦して帰宅。帰ってきたら中日が逆転していた。立浪のスキャンダルの内容について真偽はしらないけれど、あのホームランは素晴らしい。しかし松坂はここ一番にほんと弱いな(^^;)。やはり大リーグに行って修行するべきだな。中村俊輔の成長ぶりを見ると、逆境で鍛えられるタイプの人間は確かにいると感じたり。しかしEZ!TV一時間半遅れのオンエア、スタッフのみなさんご苦労様です。

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秋華賞

ヤマニンアラバスタ本命。

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2004年10月16日 (土)

人の品性は誤魔化せない

041016-170923.jpg 午後お台場で会議。某テーマについて話しながら不思議な気分。インターネットはいろいろこれからも面白かったり恐ろしかったりするんだろうと思う。築地に戻りW誌編集部、林さんがいらして作業をされている。さすがに秒読みに入ってきたからなあ。12月20日創刊です。妻と待ち合わせて少しふらふら歩いてから銀座の香味で羊のしゃぶしゃぶ。20年来来ている店だが今日は若い人がスーツを着て接客。3代目と思しい。なんかちょっと感慨。帰宅してテレビで日本シリーズ、中日元気なし。川上で負けるのはなあ。町村外相の発言醜悪。国益を考えての媚びた発言というよりはキンタマを抜かれた男がそれに気がつかず自分の頭で考えたつもりになって小ざかしいことを言っているというそんな感じである。この人に限らないけど。

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2004年10月15日 (金)

音の面白く深い世界

041015-113736.jpg 今日はいい天気。W誌編集部で作業。それから渋谷で加藤みのるくん、ソトコト小西くんと待ち合わせ、タクシーで太子堂の方面へ。カフェで打ち合わせしてから某氏に取材。手作りのハイエンドスピーカーのお話。非常に深く面白い話。築地に戻りソトコト編集部とW誌編集部を行ったり来たりしていろいろ仕事。パソコンがあるとほんと仕事しやすいですわ。 青山学院大F先生いらっしゃる。ファッションページのキイパーソンとの打ち合わせ。その後、その方はお帰りになって編集長、F先生、後から合流の某制作会社N氏と近所の蕎麦屋。指出君が合流して銀座のラウンジ。さまざま打ち合わせ。編集長と指出君帰ってF先生、N氏とトリフジ。看板まで。方向が同じだった方とタクシー同乗、お送りして帰宅。

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2004年10月14日 (木)

ようやくW誌にネット環境整う。

午後日比谷図書館で資料を借りW誌編集部へ。驚いたことにパソコンはセットアップされているのだがネットにつながらないという。仕方なく指出くんとソトコトに行ったりきたり。編集長怒っていろいろ担当者に聞いてみるととりあえずちゃんとつながるまでつなげるやり方で暫定的につなげることに。ああ自分でやらないとなんか欲求不満だな。でもとにかく編集部で仕事ができる環境になった。よかったー。 いろいろインストールしたり環境いじって使いやすくする。原稿も書く。仕事が捗る捗る。FMVが二台とマックのG5が二台、使うのはいまのところ指出くんとぼくがFMV、マックは不定期にくるHさんとOさんが使う。でもマックのほうは今のところ共用のようなものだ。FMVをいろいろいじりながらマックを使って原稿書いて送ったりして効率がよい。嬉しい。打ち合わせなどするうち21時をすぎる。まだ仕事のある指出くんと別れてラストオーダー21時半になったさらしなの里で蕎麦を食べて帰宅。妻と話しながら少し飲み喰い。

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2004年10月13日 (水)

押尾コータローさん取材、思ったとおりの好漢、いい感じです。

041013-112607.jpg041013-155707.jpg東京駅、のぞみ内で集合、ソトコト上田、小西、カメラマン阿部諸氏とともに大阪へ。環状線芦原橋にあるスタジオで押尾コータローさんの取材・撮影。非常にいい話が聞けました。音の世界は面白い。ソトコト次号は音の特集。お楽しみに。撮影が伸びて予約していたのぞみには乗り遅れたけど新幹線は空いていて助かる。今日は母が入院しいている病院には妻が手伝いに行ってくれた。母はいまのところ大きな問題点なく、順調に回復中のようだ。帰宅してベルギー・スペイン戦を見ながら軽食を食べてるところ。

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2004年10月12日 (火)

手足を冷やさず意識を確かにもって

041012-110047.jpg朝不安な目覚めを迎えると電話が鳴り母が倒れたと両親と同居しているすぐ下の弟からの報。某病院に運ばれたということで妻と直行、父に様子を聞くと梨を剥いているときにいきなり倒れたらしい。ただ意識はわりに早く回復。

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2004年10月11日 (月)

ハセベケン単行本、いい感じで製作中

午前中原稿。昼ごろ新宿へむかい某療法。背中が冷えていて目の状態が悪く膝と腰がずれているといわれる。その通りでございます。大江戸線新宿線で神保町、妻に忘れていた薬を持ってきてもらってホームでもらう。ありがたし。銀座の文平さん事務所で編集長、指出くん、ハセベさん、文平さんで単行本打ち合わせ。編集長のGOをもらい安心。いい感じで進めます。ソトコト編集部へ行き編集長・指出くんと打ち合わせ。それから銀座に出て沖縄料理屋でご飯。はじめてだけどいい店でした。

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mon oct 11

FT
ハワード首相、歴史的な四期目の勝利

アフガニスタンの選管、投票が公正だったか疑問の声に答えようと努力中

先週日本で航空ショーがあったんだけど、米欧の航空産業の対決状況に日本もしっかりと引きずられることがあからさまに

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2004年10月10日 (日)

連休はそうじとライブ

041010-142600.jpg041011-001852.jpg 台風が去っても秋雨前線の状況か天気はよくない。昼過ぎ、下北沢へ。グリーンバード下北沢支部のそうじの撮影、ソトコト渡辺君、カメラマン大竹君。ハセベケンさんと下北沢支部の諸冶支部長の対談を居酒屋で。その後宴会モードに入るみなさんとお別れしていったん帰宅。作業と夕食のあと妻と恵比寿へ。受付で美雨ちゃんと久々に会ったり。坂本さんとsketch showのライブ、YMOの曲もやったりして盛り上がり。若い人たちも盛り上がっててすごいですよ。終了後遅いし楽屋にもとりあえず行かずに帰宅。

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2004年10月 9日 (土)

台風の日、家に篭ってお休み

打ち合わせなど予定していたが編集長より電話が入り今日はやめておこうと。どうなるかわからなけど台風がすごそうだし。関係各位に電話して月曜に延期することに。午前中のうちに妻とラクーアの成城石井に買い物に行き昼からのんびりすることに。ちょっと仕事が多すぎて疲れていたのでいい休養になりました。

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2004年10月 8日 (金)

まだその意志はこの世にしっかりと存在している

朝ソトコト編集部。昼前外苑前でケニア人のアリさんとソトコト渡辺くんと待ち合わせ。

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2004年10月 7日 (木)

ハセベケンさんの本作りもゴール手前

041007-141913.jpgいろいろな仕事がばたばたしているので混乱が生じ何とかしないと。頑張ります。午後は原宿グリーンバード、カメラマン大竹君と撮影。それからハセベケンさんの本のための写真選びや構成などをグリーンバード事務所の机とパソコンを借りてとにかく行う。2時間以上たってもまだ終わらない。頑張ります。しかしこの事務所は仕事がしやすいなあ。ぼくも見習って仕事場を整頓しよう。 などといっているうちにハセベさんも事務所に戻ってらっしゃる。いま区議会で忙しいんだよね彼は。そしてハセベさんが再びでかけられても作業終わらず。編集長から電話、先日来心配をしていた方がお亡くなりになったという報。残念。いろいろなことが思い出される。20時近くようやく一段落して帰宅。妻と食事。鯵の干物や煮物など。

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2004年10月 6日 (水)

ジンガロのバルタバスさんの取材など

早朝起きていろいろと準備。万端整えて銀座、某所でジンガロの座長バルタバスさんにKさんがインタビュー。ぼくも補助的にインタビュー。写真はMさん。編集指出くん、沼尻くん。こういうセンスのいいインテリアのところにはいるだけで気持ちが清々してくる。終了後ソトコト編集部に戻る。 少し作業ののち原宿、カメラマン大竹君と結果ロケハン(^^;)。自分の段取りの悪さというか無さにへこむ。それからグリーンバード、ハセベケンさん単行本の為の写真選び。写真多すぎて時間切れ、明日また来ることにして築地W誌編集部。それからソトコト編集部で作業してから帰宅。サッカー負けて残念。それからソトコトでスーパーサイズミーのブログができてるので読んでね。

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2004年10月 5日 (火)

取材と打ち合わせの日、松山猛さんと久々にお会いする

041005-202015.jpgスペースシップワン、二度目も見事に成功。ヴァージンのブランソン氏が乗ってればもっとよかったのに。雨の中秋葉原、オーディオ系の取材。加藤みのるさん、ソトコト小西君、カメラマン安部君。桁の違う値段の機器に陶然という感じで。その後ソトコト、CX、ソトコト、W誌と打ち合わせ祭り。そして魚惣、編集長、松山猛さん、指出君、某社某さんと夕食。鮑などうまかったです。その後松山さん奥様と合流して銀座。解散後指出君とtorifuji。

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2004年10月 4日 (月)

生きているほうは懸命に生きるしかない、って遊んでるだけ(^^;)?

小雨模様、いろいろ苦しいことが重なるがしゅんとしてもいられないので空元気ででかける。

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mon oct 4

Yukosが「信用を著しく落としている」
インスティテュート・オブ・インターナショナル・ファイナンスによると、ロシア政府の司法制度とコーポレート・ガバナンスへの投資家の不信感が利益の上がるビジネスシステムへ陰をおとしはじめているんだそうだ。

パキスタンの軍の数部隊が米軍とともにアフガニスタンの標的攻撃に参加。アフガニスタンの選挙の安全確保のため。

ヘッジファンドたちが利益の急落に直面、とJPモーガン

社説
いずれにしても金正日のブラフがあるだろうけど合衆国と北コリアの直接交渉で朝鮮半島の非核化を確定させる時が来た ブッシュとケリーはこの点で対立しているようで実はそんなに遠い立場ではないよ。というようなことを書いてある気がします。

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2004年10月 3日 (日)

人は死ぬものだけれど

昼前大雨の中を品川、藤谷先生の氣功の会。膝の調子が劇的によくなる。新宿、都庁前の駅で妻と待ち合わせ、パスポートの受け取り。大江戸線で春日まで戻ってラクーア内のインド料理屋で昼夜兼用ご飯。

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高知競馬場リニューアル ハルウララを報道しているマスコミはこのことも報道してほしいなあ。

高知競馬がリニューアル。橋口さんの日記をぜひ読んで。

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2004年10月 2日 (土)

打ち上げ延期、でも野口さんの日常はその決意は変らないのだろう

041002-142035.jpg午前中ガタガタ仕事。早朝、大橋マキさんのソトコト連載で取材させていただいている野口宇宙飛行士のフライトの打ち上げ予定が延期になるというニュースがネットなどから流れる。

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2004年10月 1日 (金)

Fri Oct 1

メルク社の株、Vioxxの販売停止を受けて26パーセント以上の下げ。 消炎鎮痛剤Vioxxが心血管イベントのリスクが高めることが実験によりわかったため。 ロシア京都議定書承認 将来の環境を守る国際的な協力関係が確保された シティ・グループのCEOプリンス氏が同グループの倫理的文化を変えると発言 日本その他各国での反応に対して

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晴れた空新雑誌編集作業実質的にスタートの日

041001-105302.jpgいい天気。池袋へ行きバイオリン製作者の方の取材、加藤みのるさん、ソトコト榎本嬢、カメラマン鶴田氏。お話非常に面白い。途中で先に出て有楽町線で新富町、W誌編集部。会議。O氏、O川氏、新入社のS氏、途中からH氏。面白いものを作れそうで興奮。ソトコト編集部に戻りイベントの打ち合わせ。 いろいろ作業後編集長、S氏、秋吉氏とS氏の入社記念みたいな感じで夕飯、鶏ゆう。それから神楽坂、二軒。飲みすぎ反省。

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