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2004年12月

2004年12月31日 (金)

雪の中母を見舞う

041231-234451.jpg昨日の早朝に転んで打った左胸の痛みが少し増している。ちょっと無理したかな? 午後雪が降り出し、出かけようとするころには結構凄い感じになっている。板橋の病院、妻は何度も行ってくれていたのだがぼくははじめて、母を見舞う。思っていたより意識もはっきりしている。妻に寄ればここ数日で凄い勢いで回復しているようだ。よかった。話もちゃんとできるし。とにかく医者である母は患者扱いされるのが辛いらしい。でも仕方ないよ、と焦らないことをお願いする。タクシーがいないので大山駅まで歩いて池袋経由で大塚。書店で今更ながらにダン・ブラウンの「天使と悪魔」買う。実家に行き弟と父と家の前を雪かき。それから年越し蕎麦などを食べる。後片付けの終わったあと妻と水道橋に帰り、紅白のマツケンサンバ2だけを見る。あとはプライドとK1にザッピング。

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2004年12月30日 (木)

トレーニングと忘年会

041230-123454.jpg転んだところがちょっと痛いがまあトレーニングできないほどじゃないので、昼過ぎ南青山のジムでトレーニング二回目。一回目よりはちょっと動けるが、やはり連日の宴会でエアロバイクのワットが上げられない。あと胸の痛みはやはり影響して上半身の運動はあまりできず。わーずわーす編集部に行って作業後丸の内のソトコト LOHAS KITCHEN & BARでソトコト編集部の忘年会。はしごして恒例の焼肉忘年会に行くつもりだったのがこれは抜けるわけにはいかないと気が付いて電話してドタキャン。申し訳ない>府中組。夜妻も来てみなさんに挨拶して酔ったぼくを連れて帰ってくれる。申し訳ない。

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2004年12月29日 (水)

雪の東京で被災地の暑さを思う

041229-125916.jpg雪である。さすがに寒い。朝日新聞の朝刊には先生の傷だらけのお写真が。凄絶な津波の状況がうかがい知れる。スクワットなど指定された運動を一通りやる。ESPNでパス釣りのアメリカの大会の番組、なかなか面白い展開のうちに日本人の大森貴洋さんという人が最後の五分に次々に大物をしとめ大逆転優勝する。うーん知らない世界だったが面白そうだ。午後ソトコト編集部で松任谷愛介さん、わーずわーす沼尻君、将口君と打ち合わせ。それからわーずわーすに移り作業。サシデ君が来ていたのでバス釣りの番組の話をすると、その大会は以前取材したことがあるそうでいろいろ裏話を教えてくれる。他にもアジアでの釣りの話とか。面白い。やっぱり釣りは面白そうだぞ。肉体改造が成功したらアウトドアも視野に入れようかな。ってあまりにも獲らぬ狸の皮算用だな。夜、妻と待ち合わせてさらしなの里で蕎麦。それから妻は帰ってぼくは丸の内ソトコト LOHAS KITCHEN & BARへ。編集長と打ち合わせ。編集長が高校時代の同級生と忘年会だったため、20数人が2次会にやってくる。高校の十期先輩に囲まれてはどうにもならず。ひたすらお辞儀。その後編集長と神楽坂。遅くなってからの帰途、足をとられて転ぶ。悪いほうのひざと胸を打つがそれほどたいしたことは無し。ただししばらく痛いだろうな。

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2004年12月28日 (火)

知人であるO先生は生存されていた、しかし亡くなった方もいた、恐ろしい自然の力に言葉も無い

041228-142647.jpg起きてニュースを見る。CXの昼刊で、スリランカで津波に巻き込まれ生存した男性の電話での談話。ぼくの知り合いであるO先生である。8人は少なくとも生存しているようだ。しかし、ツアーのほかの人たちの安否はわからない。ソトコト編集部へ行き上田くんと打ち合わせ、資料を探してわーずわーす編集部へ。作業いろいろ。ニューヨークに住む女性アーティストがいらっしゃり打ち合わせ。作品を見ればああ、と思う方。非常にいい感じです。チベットなどアジアに対してもさまざまな活動をされている方。いろいろなことが気がかかりな中作業続行。七人の遺体がやはり先生ご一行の遺体であったことをO先生ご自身で確認されたという報が入る。なんともいたましいことだ。夕方、ソトコト LOHAS KITCHEN & BARへ。今日はその昔銀座にあったぐれいぷという店の栄ママの一日復活と題して昔の常連客が集まる会。多くの名編集者と呼ばれる方々やライター、デザイナー、その他の皆さんが来てとてもなんだか本当に。十年ほど前のことなのになんだか夢の中にいるようでしばらくぼおっとする。昔はよく夜中中のみ歩いた人々、バブルがはじけたばかりの時代でまだあまりその事に気が付かないでいた時代。今日集まったのは編集者とか自分の属するぎょうかい方々なので歳を経ただけだけれどど、昔見かけた某社のトップや某バブル紳士の方々などは今はどこへ行ってしまったのか。

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2004年12月27日 (月)

知人が津波に巻き込まれていたことが判明どうか無事でいてください

041227-153844.jpg目が覚めれば自分は無事だ。阪神大震災のときも新潟中越震災のときも思った。今回も思う。でも東京に地震がきたらとんでもないことになるだろう。もちろん耐震免震構造の研究も進んでいるのだろうがあのガラスだらけの高層ビルはどうなってしまうのだろう、いやあらゆる建造物人工物がどうなることやら目が眩む気分だ。まったく人事でない。下半身に寒いものが常に走っている。自分が怯えているのがよくわかる。とにかくわーずわーす編集部へ行く、仕事をする。代理店の方々来て次号の新聞広告などについて打ち合わせる。昨日の朝日新聞で亀和田武さんがありがたいことに創刊号について取り上げてくれた。辛辣な内容を含んでいたが何より存在していることを認められるのがまず雑誌が成立する第一歩である。いろいろと考えるための材料にもなる。ありがとうございます。このごろ競馬の取材にいけないのでお会いする機会がなく残念です。作業をして八重洲ブックセンターまで歩いて資料探し。少し遠回りして20分ちょっと歩く。有酸素運動を少しでもしないとね。帰りも20分少し歩く。編集部で作業続けているとソトコト編集長がきて打ち合わせ続き、そして知人である整体とヨーガのO先生の団体が旅行中で津波に巻き込まれ、安否確認が出来ていない人が十数人いるという。辛い。誰が無事なのかの情報もまだわからず。いろいろ作業中にケニアにいる滝田明日香さんのサイトを見つける。「エレファンティズム」のときにお世話になった、ナイロビ大学で獣医を目指している面白い人だ。ブログも面白い。元気が出る。企画もののブログもやっている。それから、おととい寄藤文平さんにいただいた「アホウドリの糞でできた国」が滅茶苦茶面白かった。編集長も絶賛。古田靖という著者は只者でなし。もともと、彼はこの話をブログで書いていて、それを見つけた編集者が本にしたいといってきたらしい。プロのライターがブログに書いたものが本になっていく、いい見本である。ブログのほかのエントリも面白い。今度絶対会いに行こう。今日は今頃青い部屋でDJやってるそうで、時間がなくて行けないのが残念。希望を信じていきたいものだ。いろいろ作業ののち、編集長によばれてソトコト LOHAS KITCHEN & BARへ。ソトコト最高顧問K先生、あとからサシデくん、上田くん、榎本さん来る。六本木照瑞へ行こうとしたが電話したら満員とのことで神楽坂フィンガル。いろいろと遭難された方がたの情報を調べるが、スリランカのことでなかなかわからず。少しわかったこともあるが公表の段階にあらず。上田くんと災難にあわれた方々とおつきあいのあった小針さんを呼び出しいろいろ話す。辛い。

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2004年12月26日 (日)

原稿を書く苦しみそして地震と津波

041226-114057.jpg原稿書きの一日。苛々。書けない自分に苛々。地震と津波の情報に衝撃を受ける。夜は恒例の有馬記念宴会を門前仲町で。原稿頭になっているのでほとんどまともに話ができず。こういうときは人と会う席は遠慮した方がいいな。少し頭がマトモになってきたのでハロン斉藤さん、高知競馬のアナウンサー橋口さん、ラジオたんぱのアナウンサー佐藤さん、日本経済新聞の記者野元さん、もう一方というメンバーの宴席へ妻と行く。いろいろとお話。課題は多く、気持ちは重い。帰宅して地震・津波のニュースなど。

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有馬記念

まったく予想している時間などなかったわけだが。

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2004年12月25日 (土)

わーずわーすの2号目の作業などで目が回ります。

資料読み、原稿書きのあとお台場で会議。移動中にMさんから架電、懸案のページについて少し進展。よかった。わーずわーす編集部で将口くんと打ち合わせ。土曜だけれど沼尻くん、後から小黒スーパーバイザー、サシデくんも来る。いよいよ忙しい年末。将口くんと文平銀座、寄藤文平さんといろいろ打ち合わせ。

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2004年12月24日 (金)

パーソナル・トレーナーにつく。こんなに筋力の無い人は初めてといわれる(^^;;。

041224-141407.jpgわーずわーす編集部へ行きいろいろ作業。昼はさらしなの里でかしわ南蛮。夕方クリスマスイブでごった返す街に出て南青山、あるジムでわーずわーす連載120clubの取材というか、初トレーニング。何しろまったくスポーツなどしたことがないこの私、トレーナーの方もこんなに筋力の無い人は正直はじめてとおっしゃる。すばらしい。そこからどこまでいけるのか? わーずわーす編集部に戻る。作業ののち神保町で妻とタイ料理。

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2004年12月23日 (木)

いろいろな仕事をした後、ソトコト LOHAS KITCHEN & BARで和む。ネタはジンガロ。

041223-122913.jpg都内某所でミュージシャンの方をお迎えしロケバスで横浜へ。みのりの多い取材をした後、都内に戻りミュージシャンの方をお見送りしロケバスでソトコト編集部、 車を降りたところで電車で戻ってきた編集長とソトコト営業部長上田くんとばったり。グッドタイミング。それからわーずわーす編集部へいくとビルの前で別の取材から帰ってきたソトコト小西くんとサシデくんにばったり。ばったり会う日だ。わーずわーす作業。夜、斎藤さんから電話、今日時間ができたのでということで、ソトコト LOHAS KITCHEN & BARで待ち合わせ。ジンガロのことなどをお話しながらゆっくり飲む。うまいソアベに斉藤さん驚く。ぼくも驚く。

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2004年12月22日 (水)

年末進行の中わーずわーす二号目をせっせと作る

041222-094222.jpgでも他にも仕事は満載。朝都内某所で某ミュージシャンをお迎え、某所で撮影。途中でわーずわーす編集部へ戻り作業。午後大橋マキさん単行本『アロマの惑星』の打ち合わせ。大橋さん、ソトコト秋吉さん伊藤さんサシデくん将口くんというメンバー。来年2月終わりごろに発売できる感じ。それからまた作業。夕方南青山で将口くんとわーずわーす連載120クラブの打ち合わせでストロングスさん。いやあ肉体改造計画ですよ。気長にスローに。編集部に戻り嵐のような忙しいひと時をすごした後グレープガンボ、柴崎P、山田P、阿部D、佐藤DとYさんと忘年会。Yさんにお会いするのは久しぶりで楽しかった。気がつくとあっという間に11時を回っていた。

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2004年12月21日 (火)

氣功で元気になる、「引き受け氣功」の藤谷師凄いです。

041221-203052.jpg精神状態が健全ではないがとにかく仕事なのでわーずわーす編集部。いろいろ仕事。もう二号目の入稿なのにバタバタ。夕方ソトコトバー、氣功の藤谷師取材。某ミュージシャンの方、ひどい腰痛があっという間に治まったと驚かれる。他にもいろいろ人来る。氣のあるところ人集まる。藤谷師、編集長、某クリニック婦長と銀座ゲルマニア。ドイツ風ビヤホールで生演奏で合唱する店。藤谷師踊る。NスポーツN記者の美声に吃驚。

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2004年12月20日 (月)

「月刊わーずわーす」と「ワーズワースの庭で」

041220-174134.jpg天気も楽しくないし体調相変わらずややダメ、妻に背中を叩いてもらったり気功をやったりしてなんとか元気出す。そしてわーずわーす編集部。ちょっとずつ反応がくる。いい感じだといいんだけどな。やっぱりフジテレビの「ワーズワースの庭で」「ワーズワースの冒険」を見ていた人は気にしてくれているようだ。改めて書いておくとあの番組のブレーンをやっていたのが「月刊わーずわーす」のスーパーバイザーの小黒一三(ソトコト編集長)を中心としたチームだった。小黒が中心となって、毎回のテーマにあわせていろいろな雑誌の編集者や専門家たちを集めて、テレビのスタッフとともに毎週会議をやっていたのだった。文庫の「ワーズワースの庭で」を持っている人は巻末のスタッフリストに構成として小黒一三と月本の名前を見つけられるはず。そして文庫を作った将口君も扶桑社から移って今わーずわーすの編集部に居たりする。いろいろと楽しい思い出がある番組だ。実は一回だけ出たこともあったり。『冒険』の「ダービーは終わった」のときに長友啓典さん、小林薫さんと対話したのだった。汗顔の至りである。一回だけナレーションも書いた。勝新太郎に出ていただいた「芸能界放蕩者伝説」のとき。懐かしい。いくつか懸案事項が解決、いくつか懸案事項が発生。あっという間に時が流れる。もう9時すぎてから編集部をようやく出てさらしなの里で蕎麦。それから帰宅。

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2004年12月19日 (日)

休日というかなんというか

久しぶりに仕事のアポのない日なのだがまず体調がすぐれない。風邪をひいた感じ。インフルエンザではなさそうだが。妻に背中など叩いてもらってようやく元気出る。母が入院しているので実家へ妻が夕飯など作りに行くので一緒に行く。妻が料理をしたり洗濯をしたりする横でゆでたずわい蟹をさばく。途中ラスベガスの叔母より見舞いの電話、全く知らなかったが従兄弟が事故で一年近く療養していたことを知る。来年から仕事再開とか。うううむ今年はうちの親戚は妻のほうも含めると7人くらいが事故やら病気やらで病院に入ったことになる。くわばらくわばら。地下のなんちゃってスタジオで久々にピアノをいじる。楽器は楽しいなあ。食事して妻が後片付けをしたあと帰宅。NHKのエビジョンイル特番、受信料払わない人が三倍増だろうな、この内容じゃ。酷すぎ。

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2004年12月18日 (土)

月刊わーずわーす創刊しました。総力特集は「ニイタカヤマノボレ」

041218-134102.jpgということで今日の朝日新聞朝刊に広告載ってます。台湾特集「ニイタカヤマノボレ」で実際にニイタカヤマに登ったんです、指出くんが。あと富士山や岡倉天心やアジアは一つや何やらあります。ぜひご一読ください。サイトがまだないので、このへんでも参照してください。
創刊びよりということで、神保町など書店を回る。いろいろ売り方など考える。昼過ぎわーずわーす編集部。作業ののちお台場で会議。たっぷり。わーずわーす編集部にいったん戻り都内某所、某ミュージシャンの方と編集長と打ち合わせ。非常に楽しい話ができる。それから編集長と丸の内ソトコトバー。指出くん井出さんが野口健さんと打ち合わせ中。秋吉さんSくんも来てわーずわーす創刊内祝い。神楽坂へ行き一杯飲んで帰る。

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2004年12月17日 (金)

月刊わーずわーす2月号は明日発売です。

041217-123734.jpg041217-152833.jpg朝風呂に入るとなんかこう体が冷えていることを実感。W誌編集部。いろいろ連絡が入ったりする。明日書店に並ぶわーずわーすについて、内輪からの反応が入ってくる。売れてくださいと祈りながら二号目を作っている。

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2004年12月16日 (木)

年忘れに扇辰師匠の噺を聞く。

041216-122558.jpgわーずわーす編集部に寄ってからお台場。午前中会議の後アクアシティでおいしくない天ぷらそば。それから少し散歩をして午後別の会議。その後高城剛さんにインタビュー。通りがかった佐藤Dに無言で手を振る。高城さんの話は相変わらず面白い。W誌編集部へ戻り作業。それから原宿、クエストホールで某制作会社N氏。ソトコト編集長が出席する原宿表参道の商店会の主催するパネルディスカッションの控え室で打ち合わせ。竹村真一先生、ハセベケンさん、山本理事長、重永忠社長、松本ルキさんなどにご挨拶。終了後みなさんと別れて根津のはん亭、早川光さん主催の扇辰さんの落語会。ひさびさの加藤友佳子さんにご挨拶。スーパージャンプ古田編集長、清宮副編集長などにもご挨拶。噺は道具屋。終了後師匠、早川席亭、清宮さん、ぴあ大木さん小野寺さん、フリーのとしちんとグルーヴィさん(旦那さんがニュージーランド人)と居酒屋。キャラクターあるお母さんの店で意外に(^^;;居心地よし。

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2004年12月15日 (水)

わーいW誌ができたよ

041215-192043.jpg土曜日発売だよ。
W誌編集部へ行き作業の後浜松町のクリニック。自分の生活習慣につき激しく反省してから編集部へ戻ると印刷所から出来上がったW誌の見本が運ばれてくる。なるほど。編集長に自分の連載のダメを出されるなどしたあと一人でさらしなの里に行き牡蠣そば。編集部へ戻り二号目の作業に追われる。ソトコト編集部へ行きそっちの方の作業。それからまたW誌編集部。年末進行年末進行。21時半ごろまで作業や打ち合わせのあと、丸の内のソトコト LOHAS KITCHEN & BAR。少し飲んで帰宅。妻が作ってくれた豚肉料理の数々で夕飯。

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2004年12月14日 (火)

年末忙しい忙しい

041214-122024.jpg朝起きると何かすげー疲れている。体が動く状態になるまで時間がかかってしまう。午後W誌編集部。作業して昼、さらしなの里でかしわ南蛮。編集部に戻り作業の後青山、高城剛さんの事務所で某打ち合わせ。関和監督の車に便乗渋谷で落としていただく。銀座線、赤坂見附、溜池山王で半端無い混雑。新橋で空く。W誌編集部に戻り作業。一段落で今日は帰る。

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2004年12月13日 (月)

福岡グリーンバードはすげー楽しい

041213-084708.jpg早朝起床、ホテル目の前の警固公園へハセベさんと行くとカメラマンの山崎さんとアシスタントがすでに来ている。グリーンバード福岡のメンバーも三々五々。ほぼ朝まで飲んでいた人たちも多いみたいだ。そうじ。いい感じで進行。その後リーダーの木下さんの事務所兼住居へ。面白い話続々出る。終了後、昼食をとてもおいしい寿司屋やま中でとり、もう一泊するハセベさんと別れて福岡空港。東京に帰着してソトコト編集部。某局某氏とIさん、編集長と打ち合わせ後丸の内ソトコト LOHAS KITCHEN & BAR。

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2004年12月12日 (日)

福岡出張、グリーンバード取材

041212-205402.jpg朝からいろいろ。昼頃出てW誌編集部。作業の後羽田空港第二ターミナル。はじめてだがすごい混んでる。ハセベケンさんと落ち合って福岡へ。機中隣は赤ちゃん連れの美人お母さん。すごくちゃんとしていて赤ちゃんを泣かせず。素晴らしい。夜、福岡のグリーンバードの方々と宴会。結構飲んでからホテルの部屋でEZ!TV。痴漢事件について、わかりやすいスタジオ展開。背の高い男たちに壁を作られた中での状況を再現、奈津子さんがCCDカメラで感じを見せる。なるほど、こりゃあ怖いよなあ。卑劣そのもの。APバンクについてのエンタメコーナー。櫻井和寿さんが熱く語ってくださる。

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2004年12月11日 (土)

切込隊長の物凄いエントリをエアエッジフォンで読んで眼が疲れた。でもその甲斐があった。

041211-175756.jpgモブログ投稿が反映されないことにいらついていたがエアエッジフォンで眼を酷使しながら切込隊長の物凄いエントリを読んで自分を恥じた。切込隊長の本体が垣間見えた気がする。その巨大な知性にびびる。というか社会に対してこういうかかわりができる人物の存在に感動する。ネット中で大変な騒ぎになっているが当然だろう。日本の未来のベースとなるデザインにかかわる話だ。日本人全員必読。頭が震え出す気分でお台場で会議。いろいろと世の中が変る時代のマスコミで仕事をすることの難しさと面白さ。4時間近い会議になる。急いでW誌編集部。作業のあと大橋マキさんソトコト伊藤さん来て、Sくん、指出君を交えて単行本についての打ち合わせ。2月終りに出すことに決まるでしょう。帰宅して妻とサッカー見ながら食事。妻は坂田のファンなので横浜応援、ぼくはブッフバルト萌えなので浦和応援。残念、PKになっちゃなあ。
追記。
ネタとなっている方が反論を開始した。そうでなくちゃね。

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2004年12月10日 (金)

久々の中沢新一さんに会う

041211-175557.jpgいろいろと心配事が多い日。いろいろな方にご迷惑をかける。申し訳なし。W誌編集部へ行き作業の後、浜松町グッドスリープクリニックへ。取材の依頼。W誌編集部へ一端戻り母が昨日転んで入院したので、根津の病院へ行く。妻と会い母を見舞う。眠っていた。引き受け氣功の藤谷先生にお願いして昨日から遠隔をやっていただいている。母の状態は安定してきた。妻と別れW誌編集部。作業後、ソトコトバー。久しぶりの中沢新一さん。編集長、荻内先生、福岡先生、堀越さん、指出くん、K先生など。非常に有意義なお話。いい企画。先生方や編集長などがお帰りになったあと、あとから来たソトコトの連中と珍しくも渋谷でカラオケへ。帰り車が拾えずバブルのころを思い出した。でも景気は悪いんだけどね。

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2004年12月 9日 (木)

この気候では体をこわす人がたくさん出るだろう、みなさん気をつけましょう

041209-182807.jpg今日は天気がよくない。体調も思わしくなく、午前中休む。というか動けない。どうにか昼ごろ起きて、W誌編集部へ。さまざま仕事。遅い昼食に昨日と同じさらしなの里の鶏南蛮。編集部で作業続ける。一度ソトコト編集部へ行き、そちらの作業。W誌編集部に戻ろうとすると心配な連絡が携帯に入る。氣功の先生に電話連絡。某代理店の方々と新聞広告の詰め。編集長、編集部Sさん、指出くん、佐山嬢、代理店の人2人、そして別件で週刊文春柏原氏、ライター内田さん、それともまた別件で某制作会社N氏、W誌編集委員の及川さんなどなどと千客万来。

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2004年12月 8日 (水)

新雑誌発売まで秒読み

041208-121918.jpg今日もいい天気だ。昼ごろW誌編集部。校了続く。中吊り色校出てくる。新雑誌、いよいよ来週18日に発売になる。夕方お台場で会議。いろいろと考えさせられるご指摘をMCから受ける。ちょっと頭を整理していろいろとご提案しようと思う。W誌編集部に戻り作業の続き。某制作会社N氏来てある単行本を売らなければならない件につき少しお話。しかし校了作業でみんな大変。ぼくに関する作業が一段落したところで、N氏と丸の内ソトコト LOHAS KITCHEN & BARへ行きその他三つくらいの案件について話をする。いろいろなアイデアが嵐のごとくわいた気がして仕方が無い。今日のソトコト LOHAS KITCHEN & BARは内輪の客が多かった。皆さん、ぜひおいでください。ワイン好きの方は是非に。

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2004年12月 7日 (火)

在日韓国人インテリの方とヨンさまブームについてばかりじゃなく色々と語る

041207-144945.jpg校了作業でW誌編集部はたいへんである。ぼくは次の号の準備をせねばならずいろいろと調査。それから企画書を三本書かなくてはいけないところに、もう一件の案件が到来。祭りはどこまでも続きますよ。そして午後イチでお台場、またまたもう一件案件が到来。次の会議まで時間があったのであんまりおいしくない天ぷらそばを食べたあと、大江戸温泉のあたりまで散歩。あったかいよなあ、この間のとんでもない夏日までとはいわないが、12月とは思えない。途中猫がいたのでカメラ携帯を向けたら逃げずににゃあにゃあ言っている。天ぷらそばの匂いに反応したのかな。30分ほど筋肉の動きや呼吸を意識的にコントロールしながら歩くと体がほぐれてきていい感じになってくる。正しい歩行は大事です。デューク更家さんは正しいです。戻って会議。それからW誌編集部に戻り作業。某社のTさんいらしてくれていろいろお話。指出くんたちは徹夜必至な状況なので一緒に出れず、Tさんとソトコト LOHAS KITCHEN & BARでいろいろお話。在日韓国人のインテリであるTさんの話は非常に面白い。17世紀にまで話が飛びつつヨンさまの話やイムジン河の話、その他世界のさまざまな件について。

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2004年12月 6日 (月)

師走だしね、いろいろとあり

041206-144657.jpg041207-175324.jpgw誌編集部へ行き作業。ソトコト編集長来て打ち合わせ。打ち合わせていると某名優のマネージャーより電話。某たのまれごとをして、某所で夕方編集長ともどもお会いすることに。いろいろ作業の後、某所で某頼まれごとを執行した後、ソトコト LOHAS KITCHEN & BAR。クリスマス仕様になってる。「スローイズビューティフル」辻信一先生ゆっくり堂の小形さんがいらっしゃり編集長、ソトコト小西くんと打ち合わせ。いろいろと面白いお話を伺う。

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2004年12月 5日 (日)

異常気象の上馬券下手すぎ

041205-131623.jpg朝からとんでもない天気だ。大嵐のあとは暑いほどの天気。なにやら気持ちが落ち込んでくる。妻と散歩、神保町で買い物をしようとするが、決心がつかず何も買わずじまい。馬券を買うが7着に敗れた馬から1,2,3着に入った馬に流すという芸術的な下手っぷりを示す。より気持ちが落ちこんでしまう。参ったなあ。

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異常だよなやっぱり

今日の東京の気温、まじでつか?
時刻 気温    
1 9.2
2 9.0
3 8.8
4 8.7
5 21.6
6 22.2
7 23.1
8 14.6
9 16.7
10 19.9
11 23.5
12 24.4

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2004年12月 4日 (土)

sat dec 4/sun dec 5 2004

FT
シンガポールの警察がCAOのインサイダー取引スキャンダルで調査を開始
 中国に本拠を置く会社のため捜査難渋の可能性 中国当局の協力が必要となるだろう。

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戦時下のアメリカ

USAは戦時中である。共同通信のラムズフェルド留任ニュースによる。

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アジア・マガジンつくり中

午前中自宅で作業。うどんを食べてから出かけて午後はお台場で会議。いろいろ面白いネタがあった。夕方W誌編集部。だいぶ形ができてきました創刊号。アジアマガジン、成功するかな? 修正点もすでにいろいろ考えてますが。

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2004年12月 3日 (金)

fri dec 3 2004

FT
逮捕されてるCAOのceoはシンガポールのハイコートで、株取引は増加し続けるデリヴァティヴの損失をカバーするためだったと白状してる。

米政府は北コリアに対する柔軟な対応を求める周辺国からの求めを無視、ハードな対応を続ける

ラブロックに関する面白そうな記事が載ってるな。一度はあざ笑われたガイア理論に強力な助っ人みたいな話かな。

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原稿書きとりあえずひと段落

なんだか風邪をひいたようだ。よくないぞ。家で原稿書き続き。ご飯はサトイモと鶏の煮付けにごま塩、七分搗き米のご飯、なめこの味噌汁。いくつか電話、何か新しい仕事が一つ入りそう。午後W誌編集部へ行き長さの調節とキャプションなどをやる。ようやくとりあえず入稿はできた。あとは来週の校了、18日の発売である。とかいってほっとしてはいられず、山菜うどん食べてからソトコト編集部、ちょっとした手配を頼む。ソトコトの入稿もしなくちゃいかん。年末進行だからいつもより早いのだ。そしてわーずわーすの二号目の締め切りも年内だ。W誌編集部に戻り作業。それから帰宅、テイクアウェイ寿司の夕飯。

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2004年12月 2日 (木)

thu dec 2 2004

FT
シンガポールの取引所、チャイナ・アヴィエーション・オイル(中国航空油料集団)の取引スキャンダルを限局しようと努力
中国の航空機燃料をほぼ独占的に扱っている会社、5.5億ドルの損失をデリバティブで出したと。
発覚したことでおきる影響を最小限にとどめようと。これはどうやらニック・リーソン以来のインサイダー取引じゃないかと。
ってことは中国のバブルは…なんて思ったりしちゃったよ記事読んでて。
日経でも三日付けで取り上げてます

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原稿書き日続く

041202-122824.jpg午前中築地へ。いい天気。猫のタケちゃんも気持ちよさげである。ソトコト編集部で島泰三先生と編集長と打ち合わせ。非常に面白い企画。いいです。W誌編集部へ行き原稿書きその他。昼はさらしなの里で鴨南蛮。贅沢しすぎ。あとはさして書くこともなし。

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2004年12月 1日 (水)

wed dec 01 2004

FT
日本の経済復活への期待台無しに?
 経済指標がよくないにもかかわらず日本政府は調子こいているようですが

comment面でもrichard katz氏の日本は相変わらず経済復活を待っている、というような題の原稿を書いてます。腐り行く日本というシステムを書きその後不死鳥の日本経済なんて本を書いてる人ですね。

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原稿書き日

041201-112255.jpgいい天気。朝方冷え込み風邪を引いた感じ。気をつけないと。午前中W誌編集部。原稿を書く。とにかく書く。編集長来て少し打ち合わせ。あとは原稿。一本はどうにか書き終わるが、約束していた会食はとても行けずで謝りの電話。ようやく一段落したので指出くんと丸の内ソトコト LOHAS KITCHEN & BARで遅い夕ご飯。牛のほほ肉ワイン煮が美味。軽く食べるつもりがけっこうおなかいっぱいに。

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