お菓子
酒をやめているとつい甘いものを食べてしまったりする。甘いものは脳のための娯楽で、あるとどうしても食べ過ぎてしまう。人間はそういう風にできた動物なので、なかなか意思の力でどうにかなるものではない。アルコール中毒より、甘いもの中毒の方が深刻だというがその通りだろう。
子供のころ、最初に好きだったお菓子は葛餅だった。船橋屋の、だったのだろうと思う。甘い黒蜜のたれと黄粉にまぶして食べる。当時田舎町取手の市場などにも売っていた、関東の人なら思い当たるであろうコンニャク風のあれである。ぼくは取手の祖父母のところに時々預けられていたので、よくねだって買ってもらい食べていた。断っておくが葛なんて入ってない。小麦でんぷんでできている。しかしそれがまた独特の風味となっていて本当に美味しかった。
もう小学校に上がってからだいぶたったあるとき、アメリカ帰りの、当時としては「アメリカかぶれ」の叔母が、ドーナッツを買ってきた。新しくできた店で買った、という。その店に連れて行ったもらったような覚えもある。35年前開店とか、最近コマーシャルでやっているので気がついたが、あれはミスタードーナッツだったのだろう、とおもって調べたら違ったようだ。ダンキンドーナッツだったようだ。1971年のミスタードーナッツの一号店は4月、大阪(箕面市)にできたのだった。同じ年9月銀座にできたのはダンキンというわけだ。9月はぼくの誕生月だから、誕生祝だったのかもしれないな、あのドーナッツは。しかし正直、「どうしてこんなにマズイものを食べるのだろう」と思ったものだった。洋菓子が嫌いだったわけではない。母や伯母の友人である某夫人が手作りでおみやげに持ってきてくれるシュークリームは絶品だった。
しかしドーナッツはダメだった。胸が焼けるし味もなってなかった。その後もダンキンもミスタードーナッツも食べることはあったが、どうしても駄目だった。町の菓子屋の「餡ドーナッツ」は食べたけど、あれはドーナッツとは違う文化でしょう。つまりアメリカのドーナッツは菓子でもあるが主食でもあり甘くないやつもいっぱいある。ぼくにはその辺がまるで納得できなかったし、今でもドーナッツを食べようとは思わない。
とらやの羊羹、名古屋のういろう。泉屋のクッキー、ヨックモックのシガール、あと鎌倉の鳩サブレ。子供のころはお菓子をよく食べた。マロングラッセなんて、よくまああんな甘いものを食べたものだ。それから駄菓子、梅ジャムや杏飴、ミルクアイス。それからカールやらポテチやらも食べるようになる。そして中学に入るころにはカップ麺が本格的に日常に入ってきた。マクドナルドもそのころである。
幼いころのお菓子はけっこうその後の食生活に影響を与える。食育に関する法律ができるような国ではなかった日本だが、まあいろんな意味でしょうがないのだろうなと思う。ぼくはたとえばシナボンにも全く興味が無い。やっぱり豆寒や葛餅、秋なら栗蒸羊羹などを日本茶や中国茶でいただきたいのだ。でも、過ごさないようにしないとね。
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