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2007年10月 2日 (火)

相撲の哀しみ

水道橋

帰宅途中の街角。ぬこが居るんだが、小さすぎてよくわからないな。

週刊SPA!に今回の騒動についてコメント。朝青龍問題ははっきりした内容だし、 そもそもたいした問題ではないので良かったが今回は根が深い問題である上に人が亡くなっている。取材しているわけではないので、 内部事情もよくわからない。だから一般的なことしか言えなかったが、 一般的にいって人が死ぬような虐めやしごきは良くないのは当たり前である。 相撲の世界では稽古ならすべてが許されるようなところがあってこれは良くない。

というか、私としては相撲取りは芸能人であり格闘家であり、 そのうちあるものは神に近づくべきものでありあるものは道化となることもあり、などと考えている。だから、 最低限敏感でなくてはならないのだ。たとえば病や怪我や死といったものに対して。神経が鋭敏でこその相撲取りだと思うのである。当然、 今回の親方の態度などからそうしたものは露ほども感じられない。残念である。それではただ単に哀しいだけの存在ではないか相撲取りは。

今回のことがきっかけで相撲は滅びるかもしれない。しかし復活できるかもしれない。貴乃花親方はどう考えているのだろうか。 朝青龍はどう考えているのだろうか。

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