夕刻畏友早川光氏の主宰にかかる鮨を喰らふ會のため淺草へ赴く。水道橋より省線に乘り淺草橋にて下車、地下鐵淺草線に乘り換へ、
淺草迄。淺草を漫ろ歩く。數日前大阪ミナミや天王寺あたりをうろついたときに感じたけものぢみた都會の古層の感覺を全身に感じる。
少しく淺草オレンジ通り商店街の喫茶店にて休み文庫本讀む。
30分ほどして時間丁度よいかと立ち公會堂の前を通り傳法院にぶつかり左折、
傳法院通りを進み飮み屋が竝ぶあたりを越えるとロックブロードウェイ商店街、淺草演藝場、ロック座、場外馬劵賣り場。
右折し左折するとひさご通り。言問通りを越えて千束通りとなる。粹な飮み屋などが集まる一帶、粹筋向けの梅むらなんて甘味屋もある。
ここの豆かんは本當に美味しい。品があつて、ちやうどよい甘さである。
目指す店は「鮨久いち」、
親方はまだ40前と若いが久兵衞で17年修業したといふ人だ。
實家を改造した店ださうだが實はおぢいさんが寶壽司といふ名でここですし屋を開業してゐたのださうで、さういふ意味では復活であるやうだ。
今日の會は亭主の早川氏と、編集者、ライターの方々など、私をふくめて全部で7人。カウンターを占領。昆布締めのヒラメから、白身
(シマアヂだつたかな)、とろ、コハダ、いくら、うに、いか、づけ、煮蛤、さより、あなご、のりまき、たまごやき、
甘味といふ順番だつたやうに記憶する。ただし私の記憶は相當ザルである。美味しかつた。良い雰圍氣のなかで、
早川氏の話にときに納得しときに爆笑しながら靜かにつまむ壽司は手頃な自己主張、諄すぎず淡すぎず。
酒を飮まないと味蕾と胃の腑が目を覺ましたままでなるほどかういふ具合かと今更に思ふ。五感がいかに鈍つてゐたかを改めて感じる。
酒には酒の文化がある、その官能についてはこの頸の上に乘つたいまにもとろけて流れだしさうになつてゐる腦漿その他の器官により、
三十數年間味はつてきた、もうそっちの方は感じるべきほどのものは感じた、気がしている。
私の脳漿の方が酒に味あはれ盡くし苛まれ盡くして了ったといつていいかもしれない。いささか疲れ果てる位に。
今度は酒のフィルターを取り去つた別種の感性による受容を經驗するときがきたといふことだ。
甘味の綠の色の品の良い餡と白玉のコンビネーションを舌のうへに思ひ出しながら言問通りを早川氏のタクシーに同乘させていただき歸路へ。
早川氏を落として水道橋へ戻る。本鄕なる能樂堂の前には、いつものやうに野良猫がふにやあとした顏で寢そべつてゐた。
うまいさかなをおまへにも食べさせてやりたいなと呟きながら自宅アパートへと歸り着く。
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