東京も負けちゃったし、ナビスコカップは現地観戦もどうしようかなって全然のれない感じだったんだけど、犬飼専務理事の暴言を受けて川崎を思いきり応援することに決めました。
「Jリーグの犬飼専務理事が試合前、川崎Fの武田社長に事情説明を求めた。数百万円かけて、19日のアウエー戦後にイスファハン(イラン)からドバイ(UAE)までのチャーター機を日本協会とJリーグ側で用意。定期便より1日早い20日の帰国を実現したが、23日のリーグ戦では規則ギリギリのメンバー8人の入れ替えで柏に0-4と完敗。この日も結果を出せなかった。同専務理事は「Jリーグも頑張ってもらうためのチャーター機。その思いが通じなかった。サポーターを裏切ったことへの説明を求めていく」と話した。(日刊スポーツ 2007 9 27)」
手持ちの選手を入れ替えて使うのは当たり前でしょう。サポータをバカにしているという言葉は浦和出身のJリーグ専務理事にはこの場合使えないはずの言葉でしょう。
というかサポータという言葉を便利に使うのは諸刃の剣だと思うんですよ。サポータという言葉の偏重はJリーグを衰退させかねない。サポータは万能じゃない。私はこの増田さんのこの意見に全面的に賛同します。(念のために書いておきますが増田というのははてなのアノニマス・ダイアリーの書き手のことをあらわす便宜的な名前(アノニ増田イアリー)なので、いわゆる名無しさんですので誤解無きよう)
「私自身は、自分が『サポーター』という言葉に該当する人間なのかどうか、自信がありません。
イランに行ったら『サポーター』でしょうか。
年間チケットを買っていれば『サポーター』でしょうか。
後援会に入っていれば『サポーター』でしょうか。
私はインドネシアに行った『サポーター』ではない人を知っています。その人は別のチームを応援していました。
私はイランに行った『かけもちサポーター』を知っています。その人は、なんとその柏とのかけもちです。
年間チケットを持っていても、一度も等々力に来たことのない人を知っています。付き合いで買っているだけで、チームに興味は無いのです。
逆に、店先に旗を掲げているような『サポートショップ』の人でも、水土日に営業している店舗であれば、ほとんどの店の人は等々力には来られません。
この間、こんなことが書いてあるブログを見つけました。
>私はチームが強い時にしか応援しないサポーターですから、当分等々力には行きません。
ここでも、『サポーター』という言葉が使われています。
強い時にしか応援しないのが『サポーター』でしょうか。
海外サッカーの『サポーター』もいますよね。
でも、その人たちはそのチームの試合を観に行くことはほとんどないでしょう。
ましてや、試合告知のビラ配りなんてしないですよね。
グッズを買って、CS中継で試合を観ていれば『サポーター』でしょうか。
そのチームのことを一心に考えていなくても、『サポーター』という言葉は使われます。
試合を観に行かなくても、『サポーター』という言葉は使われます。
チームをサポートするような具体的行動をとっているようには到底見えない場合でも、本人が『サポーター』だと言えば『サポーター』なのです。
『サポーター』ってなんでしょう。
この、自己申告制の、曖昧な言葉の意味って、なんでしょう。
なのに、この『サポーター』という言葉を使えば、何でも解決すると思っている人が世の中にはたくさんいます。
犬飼専務理事もその一人でしょう。
定義さえあやふやな言葉なのに、サッカー界では常に切り札なのです。」
サポータという言葉はこのままではサッカーを殺すかも知れません。日本のマスコミは言葉をもっと大事に使わなくてはいけません。便宜的に、便利に使うと、気がつくと言葉によって心や体が浸食されてしまうもの。それが日本のテレビや新聞は、あまりにも簡単に便利な方に付く。関係者も皆、気がつくと便利な方に付くだけで、検証したり見直したりは決してしない。
まあ言葉をしっかりと腹におさめるためにも現場の場数を踏まないと。なるべくいろいろと取材を重ねていきたいと思います。
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